【記事】誰もラッコを撃ちたくなどない(2) | Why would anyone want to shoot a sea otter? (2)

2015年3月10日付のThe Guardiansから、"Why would anyone want to shoot a sea otter?"のパート2です。

自らラッコやアザラシを捕り、肉を食べ、その毛皮で衣服やアクセサリーなどを作って売る、あるアラスカ先住民の血をひく男性を追ったノンフィクションです。
パート1はこちらからご覧ください。

<<パート1 ※緑字は訳者による註

ウィリアムスに初めて会ったのは2年前、アザラシカレーを挟んで向かい合っていた。私は夏季研究生としてシトカに滞在しており、ウィリアムスは自分で獲ったアザラシを料理し、仲間と分けようと持ってきてくれたのだ。彼はいつもの台詞をすぐに口にした。「アラスカ先住民は海洋哺乳類保護法の適用外なんだ。俺たちは食べたり服を作ったりするために海の動物を狩ることや、アート作品や工芸品を作って売ることが許されているんだ」


ウィリアムスは背が高くひょろりとしていて、髪は肩まで伸び、ヒッピーのような顎鬚をしている。女の扱い方は知っていたが、きわどい冗談を飛ばしていた。「その通り」彼の好きなフレーズだったが、柔らかさはすぐに溶けて消え、カリスマ的な強さにとって代わってしまう。彼曰く「急進的で、一匹狼の非協調主義者」だそうだが、フレンドリーな男だ。「俺はこんな、田舎の無骨者だよ」ニューヨークで、私にそう言ったことがある。「自分でも、何をやってるか良く分かってないんだ」


ウィリアムスは、普通ではない倫理観を持つハンター兼デザイナー兼企業家だ。「俺のビジネスは、自分の行動主義とは切り離せない」と言う。「自分の精神性とも、文化とも切り離せない」彼の服のラベル『Shaman Furs』はワンマン運営だ。ウィリアムスは自分で狩り、皮をはぎ、肉を取り除き、伸ばし、縫い、デザインし、マーケティングして売っている。皮を着用可能にし耐久性をつける、なめしだけは唯一外注している過程だ。図書館でプリンターとWi-Fiを使い、iPhoneでクレジットカードを受け付ける。イタリアのデザインと先住民芸術に影響を受け、彼は独特な素材が明白な、シンプルな上品さと自信をデザインしている。


ウィリアムスは、愛すべき素晴らしい動物を殺すことにより自分のアイデンティティーと生活の糧が成り立っているということは分かっている。しかし、彼は生活の糧としての、法的に認められ陸と海で暮らすアラスカ先住民の文化的・経済的権利に対し率直に賛成している。特にリベラルな北米の人やヨーロッパ人たちに、また一部は1994年に行われたPETA(「動物の倫理的扱いを求める人々の会」という動物保護団体)のスーパーモデルを使ったキャンペーン"I’d Rather Go Naked Than Wear Fur"「毛皮を着るぐらいなら裸になる」)により、毛皮が長きにわたり汚名を着せられていることも分かっている。しかし、ウィリアムスは外部から強制される保護は植民地主義のようなものだと思っている。自分の主張に耳を傾けてくれる人-彼にとってはそれが救いなのだが-に対しては、先住民が行っている小規模な猟は持続可能で権限があるのだと言う。


8歳の時からセラピーを受けたりやめたりと、ウィリアムスは何年もドラッグ、アルコール、うつ病、抗うつ剤、個人的な運命感に拡大されたアラスカ先住民としてのある種のトラウマと戦ってきた。彼は保護施設に「監禁」され、16歳で家を出、学校を退学になった。「仕事を転々としたよ。いろんなことをやってみようと思ってね」ウィリアムスは私にそう語った。「地方のテレビ局でも働いたし、門番もやったし、部族でも働いた」それも、アーティストとして成功するためだった。オレゴン州ポートランドで、どん底を経験した。アナーキーなろくでなしたちに囲まれ、自滅的になっていた。「俺は変わらくちゃいけなかった。ひょっとしたら俺は自分自身を完全に破壊しようとしていたのかもしれない」彼はシトカに戻り、独学で猟を始めた。しかし、最初の1年はラッコを殺そうとも思えなかったし、殺すこともできなかった。撃っては外した。撃とうとすらできなかった。6年たって、彼は器用で完璧に撃てるようになった。悪い感情が湧き上がっても、なんとか制することができるようになった。


パイレーツ湾からの帰途、ウィリアムスは私たちを載せ、船のエンジンの速度を上げた。シトカ湾のクリスタルのような水面を船は飛び跳ねた。ジェンナ号は一定の速度に達した。「速度を保て!」彼は叫んだ。船は驚いたような鴨たちのそばを走り抜けた。ザトウクジラが列になって呼吸しに上がってきては、水平線の上に煙のような白いしぶきを上げた。愛らしけれども獰猛なアシカたちはボートに近寄ってきた。後退しつつある氷河が、風景を作り上げていた。無数の湾、海峡、フィヨルドに刻まれた、水に浸った凍りついた山々。

アルミ製のおんぼろのボートで出発するピーター・ウィリアムス。Photograph: James Poulson
アルミ製のおんぼろのボートで出発するピーター・ウィリアムス。Photograph: James Poulson

1700万エーカー、5000以上の島はそれ以上だ。トンガス国有林は、アラスカ南東部の飛び出している地域を取り囲んでいる。北アメリカで、自然世界がこれほど壮大で野生らしく豊かなところはない。鮭が泳いでいるとこの辺りの川はダークシルバーに変わる。人がほとんど住んでおらず、ほとんどは道もないアラスカは、テキサス州の3倍半も大きい。北アメリカで、自然世界がこれほど壮大で野生らしく豊かなところはない。鮭が泳いでいるとこの辺りの川はダークシルバーに変わる。現在のアラスカ州は、石油会社とアラスカ先住民と環境保護活動家が三つ巴で戦い、停戦し土地を分割することで1970年代に誕生した。車のナンバープレートには「ラストフロンティア(最後の辺境)」とあるが、このような辺境神話のようなものは、アラスカを舞台にした奇妙なテレビのリアリティ番組のおかげでポストモダン的なねじれが生じている。「デッドリースト・キャッチ」「ユーコンマン」「ベーリング海峡の金」など、20以上ものテレビ番組が制作中だ。


猟から数時間後、私たちはトレーラーの中で、軽く味付けして炒めたラッコの背中の肉を食べていた。「最高のワイルドな遊びだね」ウィリアムスは言った。「皮肉だよ」鹿肉がそばにあった。皮は塩漬けにされ、ジェンナ号は裏のイーグルビーチに引き上げられていた。私たちは、暗いワイン色をした肉をと、サラダとマッシュポテトを食べた。


ウィリアムスのトレーラーは、住居兼、オフィス兼、デザインスタジオ兼、倉庫兼、縫製室でもあった。猟場に面した素晴らしい眺めだった。庭には役に立つものが散在していた。タイヤ、カキの殻、砂床、ラッコの頭蓋骨。レコードプレーヤーにはマイルス・デイビスのビッチズ・ブルーが置いてある。以前アーティチョークが入っていたビンには、使い切った殻でいっぱいだった。どこもかしこもいっぱいだった。切り抜いた皮やその切れ端。それに紛れて彼の作品があった。マフラーや帽子、クッション、ブランケット、耳当て。そして毛皮で縁取りされた鏡が6つ、壁に並んでいた。その向かい側に、古くて美しい5フィート(約1.5m)のクジラのヒゲと、彼が自分で描いた猟の様子と中毒の様子を描いたシャガールのような絵が掛かっていた。そして冷凍庫が3つ。アラスカの冷凍庫は普通の冷凍庫とは違う。ラッコやアザラシ、鮭、オヒョウ(北米産のカレイの一種)、黒い鯨皮(ホッキョククジらの脂身の多い皮)、そしてユタにいる伯父から送ってきたヘラジカの肉が詰まっていら。


海洋哺乳類の肉に関する市場がないことも言うに及ばず、規制やその曖昧さにも関わらず、ウィリアムスは情熱をもって料理や食事について話す。「アザラシのバーベキューや、ラッコのソーセージを使ったタコスのフードトラックを開きたいんだ。アザラシの脂肪から、オメガ3の錠剤も作りたい。カナダではやってるらしい」彼自身はコレステロールを減らしているが、アザラシとハラペーニョのシチューを作り、アザラシの心臓のジャーキーを褒めたたえ、アザラシの肝臓を「レバーの中でも最高」と呼ぶ。


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パート3へ続く>>

ラッコの皮から服をつくるピーター・ウィリアムス. Photograph: James Poulson
ラッコの皮から服をつくるピーター・ウィリアムス. Photograph: James Poulson

記事元:
Ross Perlin

Why would anyone want to shoot a sea otter?

the Guardian |  Tuesday 10 March 2015 02.00 EDT Last modified on Tuesday 10 March 2015 09.00 EDT