【記事】海、私たちの裏庭:カリフォルニアラッコの再発見 | Gary Griggs, Our Ocean Backyard: Discovery in 1938: Southern sea otters not extinct after all

本日は2017年12月23日付のSanta Cruz Sentinel Environmentから、"Gary Griggs, Our Ocean Backyard: Discovery in 1938: Southern sea otters not extinct after all"をお届けします。絶滅したと考えられていたカリフォルニアのラッコが1938年に再発見された当時に関する記事です。

1938年5月19日、3人のやんちゃな若者がサンタクルーズを出発しサウスシーに向かう5日前、カリフォルニア大学バークレー校を卒業したばかりだった私の父は、ルームメイトだった親しい友人から一通の手紙を受け取った。地理専攻で卒業したジム・パーソンズはウキア・レッドウッド・ジャーナルの記者として働いており、「サンルイスオビスポ沖で300頭のラッコが発見される」という記事を書いた。

 

その前年、19年の建設期間を経てカリフォルニア州道1号(もとはルーズベルトハイウェイと呼ばれていた)がビッグサーの海岸に開通した。当時の新聞からは、1938年の春に誰がラッコを発見し実際に何頭いたのか、正確にはどこにいたのかなどははっきり分からない。明らかなのは、18世紀と19世紀にかけて酷い乱獲が行われた結果、カリフォルニアラッコの個体群は一般的には絶滅したと考えられていたということと、1915年以降、信頼できるカリフォルニアラッコの生存報告がなかったということだ。

 

最も古い当時の記事は1938年4月9日にさかのぼり、その記事によるとその群れが「数日前」にハリケーン岬で最初に発見されたが、当時狩猟局の監視員が数えたのは60頭だった。目撃が増えると個体数は84頭になった。1週間後、センチネル紙の記事は長く暮らす地元住民フロイド・アーデンの言葉を引用してた。アーデンは前年の春にビッグサーのソベラネスロックスでラッコが日光浴しているのを見たと話した。

 

4月17日、ビクスビー・クリーク近くでラッコが生き延びているとの報告があり、カリフォルニア州の狩猟局は24時間体制で監視を行った。「100頭分の毛皮は10万ドルから15万ドルの価値がある」からだった。1週間後の記事では、狩猟局のカウントによるとサー岬のラッコは91頭だった。ホプキンス・マリン・ステーションのハロルド・ヘス博士は、ラッコはずっとそこにいたがハイウェイ1号が開通するまで誰も目にsることがなかったのだろうと考えていた。

生き残りが発見されたラッコの群れPhoto (c) William L. Morgan/California Views Photo Archives
生き残りが発見されたラッコの群れPhoto (c) William L. Morgan/California Views Photo Archives

新たに発見されたラッコの群れを最初に撮影したと思われる写真が1938年4月26日に発表された。その写真はカーメルの南15マイルの場所にあるレインボーブリッジ(ビクスビー・クリーク・ブリッジと思われる)のケルプ床に浮かんでいるラッコが写ったものだった。

 

驚くべきことに。その写真のキャプションは、その群れを「毛皮が15万ドルの価値がある」と述べていた。長い間絶滅したと考えられていた種が突然再発見され、狩猟局の監視員に24時間監視されているのに、なぜ新聞はその毛皮の価値をわざわざ載せなければならないのだろう。負けてなるものかと、2週間後に発表された記事の見出しは「監視員が昼夜パトロール 15万ドルのラッコの群れ」

 

同じ日の別の記事では、最初に目撃されたラッコは17マイルドライブのバードロック沖で「波に浮かび、岩の上で日向ぼっこしていた」ものから来たと報告されている。当初はオットセイと思われていたが、「動物専門家」がその考えを覆し、カリフォルニアラッコであると断定した。ラッコの数は毎週のように増え、目撃場所も17マイルドライブからサー岬までの20マイルにかけて広がっていた。カリフォルニアラッコは絶滅していなかったのだ。

 

私は、1938年にラッコが発見されたという父のルームメイトからの手紙のオリジナルを持っている。そのルームメイトは地理で博士号を取り、カリフォルニア大学バークレー校で40年教えていた。その専門やバークレーの大学では伝説の人だった。南カリフォルニアから運転してひと月家族でキャンプ旅行するとき、私たち家族はいつもジム・パーソンズ一家と彼らのバークレーヒルズにある名工が創った古い家で最初の夜を過ごした。

 

眠りにつく前には、パーソンズは私たちに素晴らしい冒険物語をしてくれた。家には本が山のようにあり、南アメリカ中を旅した際に集めたきれいなものがたくさんあった。私は10歳の頃、パーソンズの家で何度も滞在し、自分もあとを追って教授になりたいと思うようになった。

 

そこで父に尋ねた。ジムは博士号をとるためには何をしなければならなかったの?父は答えた。「本を書かなければならないんだよ!」確かに博士号をとるための学術論文はある意味本といえるが、純朴で世間知らずの10歳の少年にとって、父の答えは非常に自身を喪失させるものだった。結果的に私は教授となり、その夢をTODOリストから外すことができた。

 

その65年前にガッカリしたことを胸に、読者の皆さんには私はこの夏2冊の本を上梓したことをお知らせしたい。「Coasts in Crisis - A Global Challenge(海岸の危機ー世界が直面する困難*)」そして「The Edge - The Pressured Past and Precious Future of California's Coast(エッジーカリフォルニア沿岸の抑圧された過去と貴重な未来*)」、2冊目は友人キム・スタインハートとの共著だ。

 

だから、夢をあきらめてはいけない。

 

ゲイリー・グリッグスはカリフォルニア大学サンタクルーズ校の地球惑星科学の教授。コンタクトはgriggs@ucsc.eduまで。過去のOcean Backgroundのコラムはこちらから。

http://seymourcenter.ucsc.edu/about-us/news/our-ocean-backyard-archive/

 

*訳者注:本のタイトルの日本語訳は正式なものではありません

Santa Cruz Sentinel Environment

Gary Griggs, Our Ocean Backyard: Discovery in 1938: Southern sea otters not extinct after all

December 23 2017 by Gary Griggs