【記事】アラスカ南東部のラッコ | Sea Otters and Survival in Southeast Alaska

本日は2018年4月24日付のSierraから、"Sea Otters and Survival in Southeast Alaska"をお届けします。ラッコと水産業の対立は日本でも起こっています。このような議論で、人間による乱獲がどの程度深刻なのかが語られることなく、ラッコなどによる漁業被害だけが取り上げられることが気になります。

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プリンス・オブ・ウェールズ湾の岩の多い海岸の沖で、ボートが通った時に起こった波に乗ってラッコが楽しそうに回った。ラッコを探して水平線を眺めると、ハゲワシが私の頭の数フィート上を昇っていったが、それが大きくて耳に刺すような音だったので最初は水上水上機かと勘違いした。再び水面に目を向けると、ラッコは好奇心に満ちた目でこちらを見ていた。

 

別のラッコが前足にダンジネスクラブを抱えて近くに現れた。そのラッコは腹にカニを叩きつけ、殻を割いて歯で身を取り出した。その光景に夢中になっていたので、後ろから男の人の声がした時びっくりして飛び上がってしまった。

 

 「何を見てるんだ?」

 

「港のラッコを見ているだけです」
と私は言った。

 

 「このへんの人間じゃないね?あのラッコは害獣だ。私たちからあらゆるものを盗んでいくんだ」

*


私は海洋生態学者ジニー・エッカート博士率いるアラスカ大学の調査チームと会うためにこの島に来ていた。エッカートは10年ほどアラスカ南東部のラッコとその生息域の関係についての研究を行っている。

 

1700年代半ば、カリフォルニアからアラスカ、太平洋の島々、ロシアや日本にかけて推定10万~30万頭のラッコが太平洋沿岸に生息していた。1741年、ロシアの探検家が繊細で密度の高い毛皮を求めてラッコ猟を始めた。その後150年以上、毛皮貿易が継続し、ラッコはほぼ絶滅状態まで乱獲されてしまった。1911年に膃肭臍(おっとせい)保護条約の一部としてラッコ猟が禁止された。しかし、その頃までにはアラスカ南東部にあったラッコのコロニーは根絶されてしまった。

海洋生態学者 ジニー・エッカート博士
海洋生態学者 ジニー・エッカート博士

この地域でラッコの個体数が減少し最終的に消滅してしまうのに伴い、ラッコが食べていたダンジネスクラブや貝、ナマコなどが増加しはじめた。それが瞬く間に、新たに水産業を発達させることとなった。

 

ラッコを以前の生息域へ戻す取り組みの一環として、1960年代にアラスカ州魚類狩猟局は400頭ほどのラッコをアラスカ南東部に再導入した。それ以来、ラッコは頂点捕食者として目覚ましい復活を遂げ、同地域における個体数は推定25,000頭になる。

 

これを環境のサクセスストーリーと喜ぶ保全団体もある一方で、地元の水産業関係者は急増するラッコを管理する方法を模索している。

 

ラッコは大食いだ。他の海洋哺乳類とは異なり体温を守る皮下脂肪を持たないため、冷たい海の水で生きるために厚い毛皮と高い代謝を必要としてきた。

 

「ラッコは毎日体重の25%の重量のエサを食べます」とアラスカ大学海洋生物学准教授ハイディ・ピアソン博士は言う。「だから、例えば150パウンド(67.5kg)の人間と考えると1日に35~40パウンド(15.8~18kg)食べなければならないということになります」

 

その結果、捕食者であるラッコはその地域の魚介類を一掃し、水産業と直接競争することになり、また同時にアラスカ先住民の漁業活動とも競争することになってしまった。ラッコはその地域においては、食の安全を最も脅かす存在なのだ。

 

「ここの人々、特にプリンス・ウィリアム島で暮らす人々は、ラッコに対して否定的な見方をします」とエッカートは言う「自分はラッコを研究していると言うと、ここの人々は『それならショットガンを持っていけ』

 と言います」

 

ラッコは現在連邦法である海洋哺乳類保護法で保護されており、その法ではアラスカ先住民のみある特定の数を上限にラッコ猟が許可されている。しかし、違法な猟も行われていることが知られている。

 

「ここには、ラッコの記憶が残されていないということを念頭に置く必要があります」とエッカートは言う。「数世代遡ったとしても、ラッコがいたということを覚えている人はいません。先住民の人々は、最初にみた自然のシステムを、祖父母の世代が最初にみたものを記憶しているのですが、ラッコが来てそのシステムが変わってしまったのです」

 

*

 

ある朝早く、私はエッカートと彼女のチームにドックで待ち合わせ、27フィートのノースリバー社の船Ishkeen号に乗り、このカリスマ性のある議論の多い海洋動物の調査を行うため出航した。穏やかな水の中、海岸に沿った草原のような海草棚に船を進めた。ここが、ラッコの主要な生息地なのだ。エッカートの調査を手伝うためにアラスカまでやってきた市民ボランティアが2人、私たちと共にいた。

 

最初にラッコを見つけるまで、時間はかからなかった。

 

ラッコの群れが頭を上げてこちらを伺った。ラッコたちは怯えるというよりは好奇心を持っていたようだったが、私たちはラッコを脅かさないように安全な距離をとった。ラッコたちは流されないようケルプに包まり、仰向けになり、子どもを上手にバランスよく腹能上にのせてこちらを見ていた。

 

調査チームは仕事に取り掛かり、ラッコの数を数えたり行動を記録したりした。

 

エッカートとその仲間たちは、世界の沿岸域でももっとも広大で二酸化炭素の吸収源でもある海草棚に対するラッコの影響を測っている。海草棚の重要な役割の一つは、サケやニシン、メバルなどの幼魚に生息地を与えていることだ。

 

ラッコと、魚にとても重要な生息地であるケルプとの正の関係はすでに論じられている。もしラッコが水産業と関係ある種の健全性に影響を与えていることが示されれば、エッカートの発見は水産業者に対し影響があるだろう。

 

「この調査でまず分かったことは、ラッコがいるところでは本当に健全で活性化した海草棚があるということです」とエッカートは言う。ラッコが多ければエサとなるカニなどの種が減り、そのカニのエサとなる端脚類(ヨコエビの仲間)や等脚類(ワラジムシの仲間)など海草に生える藻類を食べる生き物が増える、とエッカートは考えている。「ラッコがいる場所にはより多くの海草が茂る。海草が増えれば魚が増えるということです」とエッカートは言う。

 

海草棚に良い影響を与えることにより、ラッコは二酸化炭素の固定化についても役割を果たしており、それは気候変動に対する重要な影響があるということになる。「海草がより多くなれば、森が増えるのと同様に大気中の二酸化炭素を減らすことができる可能性もあるのです」とエッカートは言う。

 

しかし、食物網におけるラッコの貢献度合が、頂点捕食者が不在だった150年の間に発展した水産業の需要に対抗できるかどうかは分からない。

 

1月、アラスカ南東部のカニ漁業者と潜水業者(貝やナマコ、ウニなどー全てラッコの好物ーを獲る人々)がシトカで開かれたアラスカ水産委員会の会議に加わり、増加するラッコの個体数の管理の強化を進言した。

 

「この業界は誰もラッコの根絶を求めているわけではありません」とカニ漁業のマイク・ロカビーは言う。「バランスを取りたいだけなのです」

 

2月、アラスカ州上院のバート・ステッドマンとデイビッド・ウィルソンは連邦議会に対し、水産業や生計を立てるための漁を守るため、ラッコの管理を州で行えるようにすることを求めた合同決議を出した。

 

再導入されたラッコの数は管理なしでは激増し、定量化することはできないが、アラスカ南東部の人々が依存しているカニやアワビ、ウニ、ナマコ、貝など、かなりの量の魚介類資源を食べつくしてしまう。

 

決議は連邦当局に対し、アラスカ魚類狩猟局やアラスカ先住民、先住民以外のリーダーと協働し、ラッコ猟に関する規制を緩和することでラッコの個体数を管理することを求めている。そしてまた、ラッコ猟に携わる者がラッコの毛皮を売ったり輸出したりすることを許可できるように、海洋哺乳類保護法を改正することを求めている。

 

先月、アラスカ上院は全会一致でその決議を可決した。現在は下院での審議を待っている。

 

「食の安全は大きな問題です」とエッカートは言う。「しかしその一方で、ラッコはここにおり、人間としてラッコに対し敬意を払い、その場所にいることができるようにしなければならないのです」