【記事】シェッド水族館とラッコ (2) | Otterly Unforgettable

本日は、2010年10月10日付のシェッド水族館のブログから、"Otterly Unforgettable"をお届けします。8年前の記事ですが、1989年のエクソン・バルディーズ号原油流出事故で親を失った赤ちゃんラッコがシェッド水族館に迎えられるまでのお話の続きです。

1989年のハロウィーンの晩、私たちは寒い中身を寄せ合って外に立ち、ご褒美を待っていた。オハレ国際空港から貨物機で到着する、シェッド水族館で受け入れる4頭のラッコの子どもたちだ。

 

シカゴにラッコが到着したのは、その年3月アラスカ州プリンスウィリアム湾でエクソン・バルディーズ号が座礁し1100万ガロンのノーススロープ産の原油が水や海岸線に流れ込み、その年に生まれたラッコを含む多くの野生生物を汚染したという、長くつらい経験の終わりだった。


シェッド水族館に到着した4頭は、保護された際生後数週間から数か月で、母親を失ったり、母親に捨てられたり、拒絶されてしまったラッコたちだった。その子どもたちはスワードに設営されたラッコレスキューセンターに運ばれてきた。(最初の子どもはセンターがオープンするまでレスキューが1週間ホテルのバスタブで飼育した)小さなラッコたちは24時間体制のケアが必要で、9月にシェッドの海洋哺乳類のトレーナーを含む飼育員によってワシントン州タコマのポイントデファイアンス動物園水族館へ移送された際も続いた。そのころまで、ラッコの子どもたちは体重が3倍から4倍になり、大きいものは35パウンドのメスで、成獣の3分の2ほどの大きさになっていた。

10月31日、シアトルタコマ国際空港に4頭の特大の犬用ケージが貨物機の先頭に搬入され、ラッコたちは長い旅の最後の一歩をすすめた。シェッド水族館の海洋哺乳類キュレーター、トレーナー、水族館の獣医が付き添った。貨物機の上院は内部の温度を華氏40度(摂氏4度)に保ち、ケージの下に保冷剤を敷き、中にはラッコがオーバーヒートしないよう保険としてブロック氷が入れられた。実際、ラッコたちはフライトの間寝ているか食べているかだった。(機内食は貝だった)

 


オハレの貨物ターミナルでは、滑走路で迎える水族館の職員の声はジェット機のエンジン音にかき消されていた。飛行機の先頭のノーズコーンがゆっくりと開き、シザーリフトが上がりケージがそっと夜の空気の中に押しだされた。シェッド水族館に向かうバンの中、2頭の一番幼いラッコたちはケージの扉の柵から足を出してトレーナーが握ってもらっていた。しかし、いったんギャラリーの仮設水槽(オセアナリウムは建設中だったため)に入ると、4頭のラッコたちはそこを4我が家と思ったのは明らかだった。

 

 

これはおよそ21年前のことだ。ラッコたちの自然寿命は約15年だ。しかし、4頭のうち1頭、キーナイ(そのラッコが保護された場所にちなむ)は今でもシェッド水族館の一員で、元気だ。
訳者注:キーナイは2012年に健康状態の悪化のため、安楽死となりました。

ラッコ啓蒙週間の間、ぜひシェッド水族館を訪れ、ラッコや沿岸生態系におけるラッコの役割、そしてラッコが直面する保全活動の困難について学んで欲しい。ラッコ水槽で1日2回、特別なトークが行われる。また当館のラッコに関するブログもあり、啓蒙週間に来場する子どもたちにはステッカーのプレゼントもある。

※啓蒙週間の内容は2010年当時のものです。


Shedd Aquarium Blog

Otterly Unforgettable

SEPTEMBER 08, 2010