【記事】ラッコレスキュー:原油流出事故の影響 3 | Sea Otter Rescue : The Aftermath of an Oil Spill part 3

1989年3月24日、1艘の巨大タンカー、エクソン・バルディーズ号がアラスカ州プリンスウィリアム湾のブライ岩礁にぶつかり座礁し、当時米国史上最悪の原油流出事故となりました。
バルディーズとスワードにラッコレスキューセンターが作られ、多くのスタッフとボランティアが、油で汚染されたラッコを懸命に助けます。この洗浄・リハビリを行ったポイントデファイアンス動物園水族館のローランド・スミス氏の本、Sea Otter Rescueの翻訳をお届けします。本の写真は掲載できませんので、Archive.org(https://archive.org/details/seaotterrescueaf00smit/page/n71)でご覧ください。

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原油流出

エクソン・バルディーズ号がターミナルを出発しカリフォルニアの製油所へ向かった時、天候はいつになく穏やかだった。海は静かで風もほとんどなかった。船員は良好な天候状態に感謝し、湾内は非常にたやすい航路に思えた。

 

ターミナルでは水先案内人が港内の危険な水域の舵をとるため、タンカーに乗りその舵を取る。水先案内人は州に雇用され船舶が浅瀬や見えない岩礁を安全に航海するため案内を助けるのだ。こうした案内人は地元の天候状況や潮の満ち引きが、港を出発する船舶に及ぼす影響を知っている。

 

水先案内人が港からエクソン・バルディーズ号の舵を切った時、船長は船橋の下にあるキャビンにいた。ロッキーポイントに着く直前、船長が船橋に上がってきた。ロッキーポイントに着くと、水先案内人は船長に舵を譲り、小さな船に乗り換えバルディーズのターミナルへ帰って行った。

 

船長は沿岸警備隊へ無線を繋ぎ、約10マイル(約16km)先のコロンビア氷河から崩れ落ちた氷山を避けるため、アウトバウンド航路からインバウンド航路へタンカーを動かすつもりだと告げた。航路は一方通行の道路のようになっている。暗い中や天候不順な時にも船舶どうしが衝突しないようにするためだ。

 

「水先案内人は今下船した」と船長は沿岸警備隊に無線で告げた。「航海速度に接続中(船舶が航行速度に達するまでの43分かかるプロセス)。ネイキッド島への到達予告時間はゼロ、ワン・ハンドレッド(午前1時)」

 

「了解」沿岸警備隊は答えた。「付近を通る際、氷山に関する最新情報の提供を求める」

 

「了解」キャプテンは言った。「今言おうと思っていたのだが、レーダーから判断すると、この船は間もなくTSS(アウトバウンド航路)から逸れ、ぶつかる船舶がなければ最終的にインバウンド航路へ入る」

 

「他の航行の報告はなし」と沿岸警備隊が答えた。「シェブロン・カリフォルニア号とアルコ・アラスカ号がそのすぐ後ろにいる模様」

 

「大丈夫だ」と船長は答えた。「インバウンド航路へ最終的に入る。TSSを出て分離帯を横断する際に知らせる。以上」

 

「了解。連絡を待つ。通信終了」

 

5分後、船長は管制センターへ再度つないだ。

 

「現在、航路を200に変更、速度は12ノットに減速、氷山を抜ける航路へ曲がる。ネイキッド島のETAはやや不調だが氷山からコロンビア湾へ抜けたら再度連絡する。以上」

 

「了解。連絡を待つ。管制待機」

 

午後11時50分、船長は三等航海士に操縦を任せ、ブライ岩礁の3マイル(約4.8km)北にあるブスビー島近くのある場所に着いたら船体をアウトバウンド航路へ右折して戻すよう告げた。この時点で船長は階下の自室へ戻った。

 

エクソン・バルディーズ号はその時、ブライ岩礁に座礁するわずか9分前だった。

 

船がブスビー島に来た時、三等航海士は船長の言った通り操舵手にタンカーを10度右に向けるよう言った。

 

舵が反応しなかった。貴重な1分が過ぎてしまってから、三等航海士は船が右折していないことに気が付いた。そこで操舵手にもう10度船を右に向けるよう言ったが、船はまたしても反応しなかった。

 

監視係が船の操舵室に駆け込んで来て、本来船の左側に見えるべきブライ岩礁の赤い警告灯が船の右側に見えると報告した。

 

その時、操舵室にいた者が自動操縦灯が点灯していることに気が付いた。そのせいで船は操舵手に反応しなかったのだ。この時までにタンカーは座礁するまでわずか3分しかなかった。

 

三等航海士はすぐに自動操縦灯を消し、操舵手に舵を右いっぱいに切るよう伝えた。しかしその時にはもう遅すぎた。3分間、船員は船を右折させようと必死だったが、船があまりにも大きく、その反応も遅かった。

 

真夜中を数分過ぎた時、エクソン・バルディーズ号がブライ岩礁の岩の先にぶつかり、金属をこするような気持ち悪い音がした。そして間もなく船は別の岩にぶつかった。2度ぶつかったことで、船体のタンクが大きく長く裂け、原油を満タンに積んだ15の輸送用タンクのうち10に亀裂が入ってしまった。

 

最初に船が岩に激突した衝撃を感じて、船長は起きて船橋に向かった。船長は直ちにエンジンを緩め、さらなるダメージを防ぐため船が岩礁から擦れないよう他の手段を講じた。

 

世界のある地域では、タンカーは「二重船殻」であることが要件となっている。船が岩礁や氷山にぶつかった際に油が州出するのを防ぐ鋼の壁がもう一つあるのだ。残念なことにプリンス・ウィリアム湾ではこれが要件になっていなかった。実際、世界にある3,200の巨大タンカーのうち二重船殻になっているのは500艇だけだ。

 

午前0時28分、岩礁にぶつかって約20分後、タンカーは沿岸警備隊に座礁し油が流出していることを知らせた。

 

3時間後、エクソン・バルディーズ号の者が600万ガロン近くの原油が流出し、それを止める手段がないと報告した。

 

流出した油

エクソン・バルディーズ号にはオイルフェンスが装備されていなかったため、船員にはプリンス・ウィリアム湾の美しく透き通った海に油が州出するのを防ぐ術がなかった。当局がオイルフェンスを巨大タンカーの周りに設置できるまで12時間もかかってしまった。オイルフェンスは水に浮かび、「スキマー」という特殊なポンプが油を吸い取って貯蔵タンクに入れることができるまで、その場所に油を閉じ込めておくよう設計されたものだ。

 

流出した油の大部分は、まるで「スーパーハイウェイ」をいくように流れていったと報告した者がいる。油は時速1マイル以上の速さで動き、波を巻き込んで「チョコレートムース」と呼ばれる泡状の油と水が混ざったものをができた。

 

オイルフェンスを受け持つため、地元の漁師や船が雇用された。彼らは油の先に立ち、油が来る前に湾や小川、被害を受けやすい魚の養殖場などにフェンスを設置した。しかし、油の量が多く、広がるスピードも速かったため、こうした試みはほとんどが失敗した。

 

2日間のうちに1100万ガロン近くの原油がアラスカのエメラルド色の宝石の中へ流れ込んだ。この間、当局は海は穏やかで風がほとんどなく、天候は季節に見合わず温かく晴れていたにもかかわらず、32平方マイルの流出油を閉じ込めるためにできることはほとんどなかった。問題の一つは、この規模の原油流出に対処するだけの設備が十分でなかったことだった。

 

エクソン・バルディーズ号がブライ岩礁に座礁して66時間後、穏やかな春の陽気が突然代わり、風が巻き起こった。プリンス・ウィリアム湾の重要な場所に設置された数少ないオイルフェンスが、風で引きはがされその中に閉じ込めていた油をまき散らしてしまった。

 

3月27日月曜日、時速70マイル(毎秒30m)以上の風が油をプリンス・ウィリアム湾の南西部、45~50マイル(約72~80km)に広げた。油を閉じ込めるためのあらゆる方策が失敗し、流出した油はもはやコントロール不能になっていた。これは、アメリカ史上最大の原油流出事故と呼ばれた。(*注)

 

油がプリンス・ウィリアム湾に広がっている時、沿岸に生息していた動物たちは自分たちのもとは何が向かっているのか知る由もなかった。動物たちの命は危険に晒されていたが、特に脅威にさらされていたのはラッコだった。その理由を理解するため、私たちはラッコやその生態について知る必要があるだろう。

*注:その後2010年のメキシコ湾原油流出事故が米国史上最大の原油流出事故となった。

Roland Smith
Sea Otter Rescue - The Aftermath of an Oil Spill
Published in  1999