【記事】失われたオレゴンのラッコ(1):バランス | The Lost Sea Otters of Oregon: Part One

本日は2019年10月2日付のOregon Wildより、"The Lost Sea Otters of Oregon: Part One"をお届けします。ラッコは先住民文化とも深い関わりがありました。

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「ラッコは100万年以上前からいます」

 

そう話すのはオレゴン沿岸にラッコを復活させる活動をしている団体エラカ・アライアンスの理事長ボブ・ベイリー。

 

皆さんはきっとラッコの写真を見たことがあるだろう。海に棲み、手を繋ぐフワフワで、可愛い生き物です。ラッコは波が砕け散る場所のすぐ向こうに、ラフトと呼ばれる大きな群れに集まっている。ラッコは人生のほとんどを海で過ごし、休息、グルーミング、育児のために上陸するだけだ。海で出産することもある。

 

「当初、バハカリフォルニアの先端とメキシコと日本列島北部にかけての環太平洋沿岸には、約30万頭のラッコが生息していると推定されていました」とベイリーは言う。アザラシほど大きくはなく、アシカほど大きくもありません。ジャーマンシェパード犬くらいの大きさです」

ラッコの歴史的な生息域
凡例:現在の生息域(ロシアラッコ)現在の生息域(アラスカラッコ)現在の生息域(カリフォルニアラッコ)□全亜種の歴史的な生息域

「ラッコは非常に社会的な動物です」

 

ダニエル・モーザーは、非営利保護団体オレゴン・ワイルドの野生生物プログラム・コーディネーターだ。モーザーは在来種の保護と回復を提唱している。

 

「ラッコは非常に知的な種で、実際、石のような道具を使い貝殻を割る唯一の海洋動物です」とモーザーは言う。

 

ラッコにはもう一つ特別な特徴がある。クジラやイルカ、アザラシのようなほとんどの海洋哺乳類とは異なり、時には氷点下になる海水温から身を守るための脂肪の層がない。その代わり、他のどの哺乳類よりも密度の高い、非常に密度の高い毛皮をもっている。

 

この厚い毛皮は、ラッコが太平洋岸北西部の先住民や後から来た交易業者に高く評価された理由の一つである。しかし、ラッコは人類が最初に沿岸に住んだときに、さらに重要な役割を果たしたという説もある。

 

ベイリーが指摘するように、「初期の人々は、最後の氷河期の間、水位が低い時にベーリング海を越え西海岸に現れました。それは15,000年前のことです。そして、少なくともオレゴン州西海岸沿いの海岸線は今日よりもはるか西にありました。そのため今日のようには見えませんでした。どのように見えたのかは正確にはわかりません。しかし、アラスカから現在のカリフォルニアやメキシコに至るまでの西海岸沿いのケルプは、初期の人々が内陸ではなく海岸に沿って南に進むことを可能にしたという仮説があります。私たちが確実に知っているかどうかに関わらず、これはもっともらしい仮説であり、それはラッコがいたことで可能になりました。ラッコは西海岸の沿岸環境と長きにわたる生態学的関係があるだけでなく、そこに住む人々とも長い文化的関係があるのです」

 

同様に、現在のオレゴンでは、チヌーク族、クース族、コキ-ユ族及び他の部族にとって、ラッコは精神的、文化的な豊かさに加えて、生態学的、経済的な価値を提供すると考えられていた。ラッコの毛皮は富と繁栄の印であり、部族間の商取引に用いられるだけでなく、歴史の口承においても重要な役割を果たした。

 

例えば、現在のブリティッシュコロンビア州にあるハイダ族はラッコとの長い歴史があり深い関係を持っている。ハイダ族の子どもたちは、幼い頃からラッコが自分たちの部族で果たす重要な役割について教えられ、土地を尊重し、使う分だけを取ることについて教えられる。

ピーター・ハッチは、シレッツ・インディアン部族連合のメンバーであり、そこでスタッフとして働いており、エラカ・アライアンスの理事でもある。「先住民として、私たちの繁栄は、土地や海を共有する多くの存在との関係が強いおかげです。いろいろな方法で見ることができますが、特に儀式の場で人々が身につけるのは、人々が交換するべンタリアの貝殻であったり、キツツキあるいはイエローハマーと呼ばれる鳥の羽根だったりします。環境を守り、良い方法で生活することから明らかにもらされる豊かさはたくさんあります」と彼は言う。

 

エラカ・アライアンスのエンブレム

 「ラッコの毛皮は私たちの部族社会で高く評価されており、特定の人々だけラッコを身につけることができました」とロバート・ケンタは言う。ケンタは登録されているシレッツ族のメンバーであり、選出された評議会のメンバーであり、シレッツ族の文化資源部門で働いており、エラカ・アライアンスの評議員にも名を連ねている。

 

 

実際、1806年にルイスとクラークがコロンビア川を下ってきたとき、彼らはラッコの毛皮でできた衣服と交換しようとした。

ルイスとクラークの日記から

ルイスの日記によると、チヌーク族の一人は 「3つの優雅なラッコの毛皮で覆われていた」が、ルイスとクラークはそれを非常に欲しがっていた。二人はその部族の者に多くの品物を与えたが、1頭のラッコの皮を10ファゾム分の青いビーズ以外と交換しようとはしなかった。1ファゾムは長さ6フィート(約1.8m)のビーズでできていたので、チヌーク族はラッコの毛皮を60フィートの非常に高価な青いビーズと交換してほしいと言ったのだ。ルイスとクラークは6ファゾムしか残っていなかったので、交換することができなかった。

 

ラッコはまた、精神的にも大きな価値があり、部族の物語や教えにも使われていた。ラッコは様々な特質を象徴していた。幸運をもたらすものから、果てしない好奇心と遊び心まで、あらゆるものを。


ハッチは次のよう言っている。「世界がどのように構成され、私たちが今日どう生きるべきかを教えてくれる物語を通して、ラッコは私たちが深く関係している多くの存在の一つです。私の家族のクース族の方にとって、ラッコが他の多くの生物と同様に私たちが本当に親近感を持っていることを示す具体的な話を思い浮かべます。私たちのコミュニティの長老は、若いクースの女性がラッコと結婚し、人々とラッコの関係を強固にしたという話をしてくれました。当時は動物と人間は今ほど違ってはいなかったのです」

 

しかし、ロシア、ヨーロッパ、そして最終的には出来立てのアメリカ共和国から貿易商が到着すると、北西部の先住民の生活が劇的に変わり、ラッコは絶滅の危機に瀕することになる。

Oregon Wild

The Lost Sea Otters of Oregon: Part One
October 2, 2019